那覇市史通史編に取り上げられている明治33年頃の代表的寄留商人の名前です。これらの名前は琉球新報に寄留商人の代表者として取り上げられたもののようです。
中馬辰次郎、大嶺柳吉、大坪岩次郎、小牧藤助、前田英次郎、海江田丑之助、若松太平、鮫島武八郎、矢野治右衛門、新名助次郎、慶田覚太郎、児玉利吉、児玉常八、古賀辰四郎、藤井吉次郎、吉田得蔵、渡辺佳助、太原佐太郎、藤田喜兵衛、高橋栄吉、原田次郎、山下清三衛門、飛岡吉太郎、井之口平次郎、黒松直次郎、相良金次郎、平尾喜三郎、浜崎喜太郎、原田直次郎、池畑盛之助、吉永藤市、畑中庄次郎
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明治35年統計によると、他府県から来た寄留商人は3505人、うち男1965人、女1540人となっている
那覇市史通史編2 p174(省略抜粋)「近代沖縄の寄留商人」で取り上げられている人間と若干違いますが、上記引用では明治33年時点での代表者であること、「近代沖縄の寄留商人」はもう少し広く扱っているのと本来もっと大掛かりな本になるはずだったという事情(同書あとがき参照)もあります。
那覇市史では「
これらの寄留商人の代表者中、児玉常八が和歌山、平尾喜八郎が奈良県、古賀辰四郎が福岡系で後は鹿児島系であった」と述べられていますが、官吏、教員などでも圧倒的な鹿児島系の中でも平尾、古賀は無視できない程の存在です。
おいおいこれらの人達は網羅できたらいいなと考えています。
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