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児玉利吉

児玉利吉
鹿児島系寄留商人の二世。内地茶移入商兼米穀・雑貨商。児玉利吉は1892(明治25)年同名の寄留商人を父として那覇に生まれた。児玉(父)は長男が1911(明治44)年に那覇の商業学校を卒業して家業に従事するようになるとまもなく死亡したものと思われる。父の死後家督相続と同時に襲名して児玉利吉を名乗った。
近代沖縄の寄留商人 (p59、60から抜粋して編集)


1925(大正14)年には那覇市議会議員選挙当選(一期のみ)。昭和12年の人事録での住所は「西本町5」となっています。
父の児玉利吉さんは明治33(1900)年9月29日付琉球新報記事「寄留商人案内(二)」でとりあげられています。
児玉利吉氏は那覇区字西25番地に商店を開き重に与論島並に永良部島の砂糖其の他の産物に付き依託販売をなし居れり 児玉氏は目下共同汽船会社の監査役を勤め居れり
沖縄県史 資料編6 新聞集成政治経済1 p228(抜粋)


この写真は「近代沖縄の寄留商人」にも掲載されていて「児玉商店(西本町)」と説明されています。
画像は下記サイトさまよりお借りしています。 m(_ _)m
http://blogs.yahoo.co.jp/pusan_de/2624051.html

1939(昭和14)年頃に県当局が米価高騰対策のため米穀販売業者を招いて協議した際に児玉利吉(他には中馬政次郎など)も招かれています。沖縄戦前に寄留商人の多くは本土へ引き揚げたそうで児玉利吉の動向も没年も不明であるようです(参照:近代沖縄の寄留商人)。

このブログ内では沖縄製帽のようすで那覇市刊行の「那覇市の産業」という本に明治33年児玉利吉という人が「アダン葉を用いてタバコ入れや草履を作って販売した」というのがあります。
また戦後には沖映・パラダイス通り[那覇亭通り](52年)に児玉洋服店という名前が見えますが関連があるかどうかはわかりません。
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