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神里原(58年)



「沖縄主要都市地図 1958年9月/崎原久 編/沖縄出版社」中の地図を参照して作成しました。破線の部分はよくわからないところです。

色を変えてある箇所について。
那覇劇場〜大洋劇場後方間の破線は元図では直線になっています。51年頃の「最新那覇市地図」ではこの間に道は書かれておらず、ゼンリン地図69年版でも道はありません。なんですが、この一帯は住宅・店舗密集地帯であったわけですから、住宅・店舗間に私道があってそれは表記していないと考えるのが妥当ではないかと思います。
上図で直線になっているのはカーブを省略したか、あるいは本当にそういう道だったかのどちらかで、おそらくこの道は6区と2区の区境にもなっています。

那覇まちのたね通信 | 真和志/樋川高台から神里原方面を望む/那覇市歴史資料室収集写真/戦後/写真右側に神原小、大浜病院が見える/(1958年頃)
http://naha.machitane.net/old_photo.php?id=1831


もう一つ色を変えて表示してある川に沿うようにしてある道(緑色)は現在の道と同じと考えていいのではないかと思うのですが、元図では新栄橋(新栄通りとの交差部分)で十字路であるかのように描かれていません。たいしたことではないかとも思うのですが一応。

左上部分の開南バス停から浮島通りへ向かう道(中央通り)ですが、ここは実際の道を無視して元図の表記にできるだけ近く描きました。この部分については後日別項で取り上げてみたいと思っています。
参考:中央通り(52年)

この図は元図に似せて書いてあります。
中央通りから浮島通りへゆく道には「那覇湯」がありますが、ゼンリン地図69年版では浮島通りに合流する手前に「那覇湯」があります。58年と69年で位置が変わっていないのであればこの図の方が現実に近いことになりますが、他の部分は変わらないのに中央通りだけなぜ最初の図のような描き方をしたのかはわかりません。

新栄橋から緑色で表示した道と平行するようにある道は中央通りから来る道と交差した先が現在の地図にはありません。元図ではこの交差部分は十字路となっています。なんですが、現在の地図でも少しずれれば
道はありますので、これは省略されたか実際に変化したかのどちらかでしょう。
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