コザにあったらしい写真屋さん撮影の写真集でしょうか。
1st 8" Howitzer Battery (SP), Force Troops Fleet Marine Force Pacific (Blackie the Photographer)
http://www.baxleystamps.com/litho/blackie_1-8_how_batt_fmf-pac.shtmlこの中の一枚に一銀通りの完成間もない頃と思われる写真がありました。トリミングして詳しく見てみます。


松尾から牧志を望む空撮ですね。
手前に一銀通り、中央にパラダイス通り、遠くに沖映の建物と沖映通りが見えます。右は国際通りです。

一銀通りは1959(昭和34)年6月25日に完成していて、丘を切り崩してつくられた人工的でな道路です。
家政女学校で少し触れましたが昔からある道は現在の一銀通りから一つ向こう側(久茂地側)の道になります。
パラダイス通りも旧来の道筋とはあまり関係がありません(図は細かい道を省略しています)
パラダイス通りは以前web上にあった地元の方のインタビューを取り上げました。
>戦争が終わって地主がいなくなってしまったこの辺りには、沢山の人々が勝手に住みついていたんです。
>そこで那覇市が区画整理を行い、ひとり30坪づつ土地を割り当てました。
>私たち兄弟は5人で150坪をもらい、そこに当時船員だった兄が廃材を集めてレストランを造ったのです。
>それが最初の「ニューパラダイス」でした。http://www.okinawajoho.net/pc/street/paradise/index.htmlこの辺りの事情は土地の解放時期と土地割当制度を併せて考えると興味深いです。
一銀通りはある程度復興してからの道路なので立ち退きが発生しています。写真は開通間もない頃のようで切り通し工事の跡や道路側の不自然な空き地が見られます。また現緑が丘公園が墓地が散在する丘であったのも見ることが出来ます。
時代的な流れを想像すると、パラダイス通り周辺にバラックで居住開始、那覇市による土地整理と区画および道路整備(パラダイス通り)、一銀通りのための立ち退きと工事、といった順になるでしょうか。
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