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那覇無盡

アーニー・パイル国際劇場を建ててから一年ほどたった1949(昭和24)年5月、高良[一]は元貴族院議員の仲村清栄と「那覇無盡㈱[那覇無尽]」を設立した。大入りが続くアーニー・パイル国際劇場からの収入で高良には金があった。それを目当てに、いろんな人が金を借りにきた。しかし貸した金はなかなか帰ってこなかった。それならいっそのこと会社組織にして、金融業務をやってみようと思って始めたのが無尽会社だった。
那覇無尽は仲村が社長、高良が専務になって、アーニー・パイル国際劇場横に事務所をかまえた。取締役には大城鎌吉がいた。その後、相互銀行方の施行(1953年)で、「第一相互銀行」に生まれ変わる。
銀行は後に、松尾の国際通り沿いに移転した。国際通りから久茂地小学校に向かう曲がり角である(現在は沖縄海邦銀行松尾支店)。当時の那覇市では一流のビルで、沖縄で最初の夜間金庫の設備が売りものだった。第一相互銀行は略称「一銀」と呼ばれていた。
第一相互銀行はその後、中央相互銀行〜沖縄相互銀行〜沖縄海邦銀行という変遷をたどる。
戦後の沖縄世相史 p138〜140(抜粋と編集)


後年の海邦銀行である那覇無尽です。
1951(昭和26)年の「最新那覇地図」では現桜坂劇場の前には道が通っておらず公園の中には音楽学校という名前が見えますが、それよりしばらく後の地図には「珊瑚座・オリオン座」があり、その向かいは那覇無尽となっていますがアーニー・パイル国際劇場横とは言い難い位置にあります。
同じく1951年の「沖縄主要地・主要商工年鑑」では国際劇場右隣には那覇無尽があり、同じビル(か敷地)には沖縄ペンクラブや琉球映画株式会社があります。ちなみに那覇無尽の隣は球陽堂です。
引用文での「アーニー・パイル国際劇場横に事務所」は沖縄主要地・主要商工年鑑に記されたものを言っているのだと思われます。
これらの食い違いについてはよくわかりません。

高良一氏は那覇の名物男というか、大ボラ吹き、大風呂敷などと呼ばれることもあって、確かにそういう面もあるのですが(笑)市会議員や実業家として名声がありました。
中城城趾のあれこれやモノレール云々だとかも間抜け(失礼)なのか先見の明があるのかわかりません。見る人によって違うというのが実情なんでしょうけども、そういう事情を了承すると戦後のアーニー・パイル国際劇場建設の際の拙速ぶりとごり押し、また抜け目のなさもこの人の特徴が良く出ているなと思えます。
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