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那覇の旅館

大正5年の沖縄県人事録は人間の紹介がメインなのですが、料亭、商店、旅館などの紹介もされています。
沖縄県人事録で紹介されていたのを以前三つ引用しました。

大正館(旅館)
楢原旅館/風月楼
池畑旅館

那覇市史にも旅館の項目があり、天妃小学校校長の石野瑛の1915(大正4)年刊行した「琉球大観」に記した那覇における主な旅館をあげています。
また古老の記憶によると旅館ができたのは明治に入ってからでその数も西本町に1、2軒、高額で庶民は利用せずもっぱら大和からの人が利用していたそうです。
池畑旅館、浜崎旅館、川津旅館、薩摩屋旅館、楢原旅館、川本旅館、大正館(以上西本町)
森田旅館(通堂町)
那覇市史資料編第二巻中の7、p424


庶民はどうしていたのかというと間切宿、ヤール小(ヤードゥ小)を利用することになります。このヤール小も西新町、西本町、通堂町、東町、旭町一帯に分布していたようです。
この庶民宿の特徴は糸満ヤールグヮー、久米島ヤールグヮー、慶良間ヤールグヮーのように宿泊客が宿によってわかれていたことですが、理由はさまざまで、それぞれ商売上の都合や出先機関的性質なども兼ねている側面があり簡単には言えません。庶民がわざわざ那覇に来るというのが大仕事であることなどを考えれば今日のように旅客としての旅ではないことははっきりしています。
このヤール小については別項目で取り上げたいと思います。
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