Wikimedia Commons から1955年頃の琉銀。
http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Bank_of_Ryukyus_Head_Office_circa_1955.JPGこの写真は沖縄タイムス社の「新郷土地図 第1巻(1957年)」32ページからのもののようです。新郷土地図にはこの写真の他にも1950年代撮影の空撮写真があります。
左図はその空撮(p8)からの風景を基にして推定した1950年代の琉銀(青)のだいたいの位置で、右は戦前のその一帯の地図です。


両図に共通するポインタで、「薩摩藩在藩奉行所跡(後 沖縄県庁)」が赤、「勧銀支店第147支店」が緑です。緑ポインタの位置は大体でしかありません。
参考にしているのは、「那覇民俗地図」と「那覇市旧跡・歴史的地名地図」、そして「新郷土地図 第1巻」の空撮写真です。解放されてまもない当時の旧那覇市一帯は建物があまりなく、琉銀の周囲も空地で近辺には琉球海運、沖縄通運、沖縄製粉があり、少し離れて円山号跡が社会局、天妃小学校が那覇市役所となっています。
※東町の琉銀本店建物は第百四十七銀行那覇支店の建物だったようです。那覇まちのたね通信 | 那覇/第百四十七銀行那覇支店/明治16年(1883)に設立された鹿児島の銀行である/戦後この建物は琉銀が利用していた
http://naha.machitane.net/old_photo.php?id=1165&from=pcコメントで情報を頂きましたので追記しておきたいと思います。
冒頭の東町にあった琉銀本店は1966年に久茂地の現在位置に移転したようです。
1966年に東町より移転/3階建てで1969年に5階に増築
那覇まちのたね通信 | 企業/完成した新しい琉銀本店
http://naha.machitane.net/old_photo.php?id=2171そのほか現琉銀本店建設以前の写真。
那覇まちのたね通信/御成橋・琉球銀行本店敷地・琉球政府/昭和35年(1960) 3月1日
http://naha.machitane.net/old_photo.php?id=3408那覇まちのたね通信 | 沖縄タイムス社前/1965年3月16日
http://naha.machitane.net/old_photo.php?id=604参考:
琉球銀行 (特殊銀行) - Wikipedia (復帰以前)
参考:
琉球銀行 - WikipediaPR