栄町にあった沖縄バスです。沖縄バスのサイトにはこうあります。
当社の前身は、昭和22年8月に米軍統治下でスタートした公営バスであり、当時は米軍のトラックにホロを掛け、後方のはしごから乗り降りする状況でありました。その後、昭和25年1月に陸運行政が沖縄民政府に移管されたのを機会に、その時の公営バス全職員が株主となり、同年4月1日に沖縄バス株式会社を設立しました。
http://okinawabus.com/modules/company/company.htmlWikipediaの沖縄バスの記述をまとめてみます。
戦後のバス事業は、1947年8月ごろに佐敷村(現南城市佐敷)馬天に開設された公営バス管理所によるバス事業が始まりである。1949年8月ごろに営業所を佐敷村馬天から那覇市安里栄町に移され、公営バスは1950年3月末頃に廃止。1950年4月1日に設立された民営バス会社である沖縄バスに引き継がれた。
1950年4月1日 公営バスを引継ぎ、民営バスの一つとして資本金3,000万円(B円1,000万円)で沖縄バス株式会社を設立し、営業開始。5月23日から営業運行開始。
1960年7月28日 観光事務所開設(那覇市泉崎)。
1987年7月25日 那覇市安里より那覇市泉崎へ移転。
1990年11月14日 旭町整備工場改築・バス車庫・観光部事務所落成。
1991年1月17日 観光部移転(那覇市旭町42番地3へ)。
1991年11月15日 観光部駐車場跡に沖縄バス本社ビル竣工(那覇市泉崎一丁目10番16号)。本社事務所4階、定期観光バスのりばを1階へ、2・3階テナント室として賃貸、同時に6階建駐車場建設し、リウボウに賃貸。
沖縄バス - Wikipedia戦後経済のスタートが50年ですからその頃のスタートということになります。
50年代の「沖縄実業と文化人名録/上原軟剛編」にある沖縄バス株式会社の項目から抜き出します。
沖縄バス株式会社
本店 真和志村安里(電話ナハ58)
支店 名護町東区(電話ナゴ18)
出張所 那覇・開南・糸満・石川・与那原・ヤケナ・辺土名・本部・今帰仁
社長 中山良輔
事務 島袋慶雄
取締役 稲嶺盛義 花城清珍 宮里松助 内間薫 宇良宗朝
監査役 大城嘉盛 當山正栄 宮城豊源樋川大通り(52年)では開南バス停は「沖縄バス 糸満線のりば」、
牧志大通り周辺(50年代初期)ではグランドオリオン通り入口あたりに「沖縄バス那覇営業所」があります。
87年に栄町から泉崎に移転した本社が97年の本社ビル竣工までの間どうなっていたのかはWikipediaからはよくわかりませんでした(後日追記します)。
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