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戦後の井筒屋

戦前の沖縄そばの名店だった井筒屋です。

後に「毎日2000杯を売る」伝説の名店として語り継がれる井筒屋も同じ年に開業している。
沖縄そば - Wikipedia


1948(諸和23)年4月、開南で新里有四郎が沖縄そば屋をオープン。新里のそば屋は戦前、父親が波の上で経営していた「井筒屋」という有名な店だった。
開南に30000B円で天幕の家を買った。楚辺の規格住宅を崩して、その材料で家を建て替え、そば屋を始めた。4年ぶりに井筒屋の看板が復活した。かつての井筒屋の名前にひかれてお客さんがいたが、旧那覇市の中心街だった波の上に比べると、もうひとつ場所が悪い。
「親父は一等地に出たがってましてね。平和通り付近に出たいというのが口癖でした。国際劇場の隣でやっている高良一さんの食堂に目をつけたんです」
「親父は、あの場所では毎月15000円あげないと儲けにならないと計算しました。しかし、どうも10000円前後の利益しかあげていないようだ、とよんだんです。それで人を介して、ひと月15000円で借りたいということを高良さんに話してもらいました」
話はすぐに決まった。1949(昭和24)年11月、井筒屋は戦後の那覇の中心地に進出を果たしたのである。
1955(昭和30)年12月、新里は沖縄事務機社(現オキジム)を設立。この5年後、井筒屋の看板をおろした。
戦後の沖縄世相史 p74〜77(抜粋と編集)


戦前の井筒屋は西武門にありました。そこがどのような場所であったのかといえば、辻の入り口そばで電車停留所の側、若狭町という庶民街のそばという食堂としてはいうことのない立地です。戦後の井筒屋は開南時代を経て現在のテンブス(国際ショッピンセンター跡/国際劇場跡)あたりにありました。閉店は1960年ということになるでしょうか。



この写真は井筒屋がうつっているかどうかはわかりませんが参考までにあげておきます。

参考:グダグダ(β) 開南通り(50年代) (開南時代)
参考:グダグダ(β) ゆたか屋 (戦前の辻時代)
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