大宜味朝徳の沖縄写真案内(1957)に山幸醤油工場がありました。位置は下の図のように黒丸宗通りの真和志小学校横、少し坂をのぼったところです。

琉球人事興信録(1950)に経営者の具志幸基さんの項がありました。
○醤油醸造所
経営主 具志幸基
真和志大原区1班
氏は明治38年屋部村屋部に生る。二十数年間京都に在りて知見広く、英国外人公社に13年勤務し、南洋貿易に従事して終戦に至る。戦後帰郷するや現住地に山幸噌醤油工場[ママ]を創設し本島産業界にゆるがぬ基礎を築きその発展振りは鮮やかに家運隆盛の一途にある。
※○は∧に幸
琉球人事興信録(1950) p86(抜粋と編集)沖縄写真案内ではマーク(商標?)は

いつ頃まで営業していたのかはわかりませんが60年代の地図には「山幸しょうゆ」としてあります。
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