69年の地図には現在の玉の子保育園の位置に「国際湯」があります。当時の地図では国際湯の前には茶色で示した道があり、国際湯はピンクの敷地になっています。
1956(昭和31)年頃になると、世の中もだいぶ落ち着き、安住の地を見つけて引っ越す借地人が出て来た。(略)場所は国際通りの国際劇場向いの通り沿いで、現在は玉の子保育園敷地となっている。人通りの多いところなので、貸店舗と公衆浴場を連ねて建てることにした。
工事は1957(昭和32)年8月着工し、翌年一月に完成した。
1958年(昭和33)年2月、公衆浴場営業許可申請所を妻春子名義で行政主席宛に提出し、許可を得て国際湯として営業を始めた。打込み井戸の水は透明であるが少し黄色がかっている。口に含むと多少塩分を含んだ味がする(略)分析を依頼したところ含食塩重曹泉でアルカリ温泉として療養に適すると判定された。(略)25度以上は温泉と称してもいいとのことであったので、温泉の分析表を記した看板を作って男女の浴場に掲げ、名称も国際湯から国際温泉と変えた。温泉の命名に効果があったのか、入浴客も次第に笛、首里、浦添方面からも訪れるようになった。
「高良嘉永人生記 働きざかり・花ざかり」 p116〜118(抜粋と編集)高良嘉永さんはこの辺一帯の地主だった人です。そんなに遠くない場所にはりっかりっか湯がありますがこの辺は掘ると温泉が出てくる土地なんでしょうか。
参考:
グダグダ(β) 久高将正と大城鎌吉の土地購入国際温泉は復帰前に1972(昭和47)年4月1日に廃業のようです。
その後国際温泉跡で娘さんが無許可の保育園を始め、その後法人化(うるま福祉会/昭和55年12月許可)。嘉永さんはうるま福祉会へ私有地と建設費用の一部を寄付し玉の子保育園を建設します。
玉の子保育園の園舎は昭和56年3月完成のようです。玉の子保育園のサイトでは以下のようになっています。
昭和47(1972)年8月 無認可ひかり保育園開園
昭和55(1980)年9月 無認可ひかり保育園閉園
昭和56(1981)年4月 社会福祉法人うるま福祉会 玉の子保育園開園
http://tamanoko-hoikuen.com/index.php?id=2また国際温泉の建物に関しては以下のように書かれています。
温泉は平屋建てで貸店舗は2階建てということでしょうか?
店舗2階建て延べ 37.5坪/工事費 52万2000B円
公衆浴場平屋建 42.25坪/工事費 58万9000B円
付属設備費(ボイラー、電気、水道、井戸等) 60万0722B円
「高良嘉永人生記 働きざかり・花ざかり」 p117(抜粋と編集)PR