「なは・女のあしあと」からジュリの後半生についてです。
遊郭の家の大部分は那覇の資産家の貸家で、一軒の楼に幾人かの「ジュリアンマー」が数人の「ジュリ」を抱えて同居していた。
資産家たちにとって遊郭は不動産経営の重要な拠点であった。
すべてのジュリがジュリアンマーになれるわけではないから、遊里で働けなくなったばあいは「チージサガイ(辻下がり)」といって田舎落ちをした。たとえば、首里のアダニガー、糸満、与那原、馬天、泡瀬、屋慶名、普天間、嘉手納、名護、本部、塩屋、久米島、平良、石垣、沖永良部、徳之島、名瀬などの「サカナヤー(料理店を兼ねたあいまい宿)」に売られて落魄の晩年を送ることもあった。
なは・女のあしあと p128おちて行く先にはだいたい港がある場所ですね。人の出入りがある場所にはそういう歓楽街もすかさず出来るのでしょうか。
また金持ちの不動産経営(ダンナ)業は様々な人間がいたようです。
[辻の]ダンナになっている人の職業は、船頭(フナトゥ)、地方の人だったら田畑等不動産をたくさん所有している人、酒屋の主人、銀行山城、カネコウ、新里といった名うての金持ち連中でした。ヤマトゥンチューは少なかったようですが、平尾のスーメー(ご主人)だけは羽振りもよかったです。
なは女性史証言集 p136PR