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ジュリとバイオリン

まず日本本土でのバイオリン。

明治になると、鈴木政吉によって日本で最初のバイオリン工場(鈴木バイオリン製造)が設立され、1900年(明治33年)には大量生産されるようになった。
ヴァイオリン - Wikipedia


「演歌」は、「演説歌」の略語であり、明治時代の自由民権運動の産物だった。藩閥政治への批判を歌に託した政治主張・宣伝の手段である。つまり、政治を風刺する歌で、演説に関する取締りが厳しくなった19世紀末に、演説の代わりに歌を歌うようになったのが「演歌」という名称の始まりといわれる。明治後半から、心情を主題にした社会風刺的な歌が演歌師によって歌われるようにもなり、次第に演説代用から音楽分野へとシフトするようになった。
大正になると演歌師の中から洋楽の手法を使って作曲する者も現われた。鳥取春陽の登場である。ただしこのような歌は「はやり唄」と呼ばれ、通常「演歌」には入れない。
演歌 - Wikipedia


また演歌・はやり歌でバイオリンを使う人がいました。クラシック以外にはほぼ使われなくなった現代とはすこし違います。
演歌 バイオリン - Google 検索
添田唖蝉坊 - Google 検索

沖縄ではどうだったのか。大正期の沖縄タイムスにはバイオリン教授の広告があります。

バイオリン 琴 教授
1、時刻 毎日午後8時まで
2、会場 久米電車通り 元天理教会跡
3、親泊玉声氏外2名
沖縄タイムス 大正12年11月15日


辻にもバイオリンを弾くジュリが何人かいたようです。

上の角の「松の下」のツルは、いつもほかの娼妓に先んじて奇抜なことをやる。(略)室内に約4尺4角の硝子池を設け、その透明な水中に金魚や他の川魚を浮かせて、夏向けの風情をつくり、酒を飲む客の目をたのしませ、それに得意のバイオリンで、大正ぶしに磯ぶし、その他、琉歌の流行ぶしまで弾いてサービスする。
沖縄毎日 大正3年3月5日
---
わけても気の毒なのは、粋人仲間で「バイオリン女郎」と謳われた後道はグーヤーノチビの兼久楼内、松の下のカメという若い貸座敷。
沖縄毎日 大正3年6月2日
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当世遊女夏姿(2) 強いバイオリンかめ小
女優オト小にも劣らぬ美しいアダ名である。バイオリンを得意とする妓は多いが、特にこの美名を得たのはこの妓の幸せといわねばなるまい。
大正5年8月9日
引用すべて「沖縄の遊郭 -新聞資料集成-」


Ciniiにある「山内盛彬による戦前期の音楽活動/三島わかな」の5ページ表にバイオリンと見え、続いての6ページ目で沖縄の曲を洋楽器で弾いていたことなどが解説されています。

とりあえずここでの結論はジュリがバイオリンで流行歌などを弾いていたということと新聞広告があったということです。
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