那覇高校から刑務所(現裁判所)は刑務所通りでした。
左図は沖縄主要地主要商工年鑑(1952)の第三十六図で下が北、右図とは反対になります。


右図に那覇高校から城岳学校までの道を破線で描きいれてありますがここが戦後暫くどうなっていたのかは今のところはっきりわからないところがたくさんあります。それと右図では刑務所から城岳学校(現城岳小?)の道を現在の道と同じとみなしていますが、左図では十字路になっています。「那覇市復興地図(47年)」を見ると現在のT字路近くに道があり変形十字路と見えなくもなかったことがわかりました。
1は図の左から
丸善木工所(角)、那覇高校向いに大きな区画で
末広食堂、その隣りに
城岳木工場。しばらくいって
浜乃家旅館、沖縄物産、共同印刷所。
2は那覇高校側から
礎美産業株式会社(元 川野長太郎商店)、仲地組、大宜味組、浜松医院。
3も那覇高校側から
城岳書店(角)、ひかり湯、城岳ふとん店、道の奥に
沖縄朝日新聞社。
4も那覇高校側から
豊里ガラス店、金城写真館、大きな区画で
樋川工業所、道向いに
川平設計事務所、教会。
城岳木工場
(ClickOkinawa.com)。

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