沖縄主要地・主要商工年鑑(1951)の第十九図表。図は左が北で一番下が330号、右下の交差点が大浜第二病院があったところ、右上に進むと真和志村役場になります。
右図を縦に走っている道が
真和志郵便局通りで、通りの
2と書かれた側に「具志堅醸造所」という名前があります。

真和志村役場前通り(あけぼの通りと呼ばれることもあったようです)を神里原方向に左折する角付近には真和志郵便局がありました。

沖縄主要地主要商工年鑑の51、52年版ともに赤で示した位置には松田兄弟社(現松田木工所)があります。隣りではありませんがそのすぐ近くに「具志堅醸造所」がありました。
赤丸宗社長であった具志堅宗精の自伝「なにくそやるぞ」にはこう書かれています。
そこで父祖伝来の味噌醤油業をはじめることにした。資本金は3万円(B円)、出資者は7名、資金も琉銀から各自借りて、これを出し合った。それと琉銀からの借入金275万円で、準備は完全にととのった。
場所は真和志郵便局向いの寄宮で、具志堅味噌醤油合名会社として発足した。
グダグダ(β) 赤丸宗/黒丸宗 2赤丸宗と黒丸宗は戦前垣花にあった具志堅味噌醤油をルーツとする会社で、両社の社長は兄弟です(赤丸宗・宗精、黒丸宗・宗演)。
黒丸宗は後年は現寄宮市街地分譲住宅の場所にあったのですがいつ頃移ったのかは調べられていません。
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