代執行で水上店舗撤去
那覇市は[昭和55年5月]23日午前9時から那覇市内・波上水上店舗の代執行を強行、焼け残った木材類の撤去作業を始めた。波上水上店舗は去る1月22日の火災で8店舗全部が焼けてしまった。これらの建物は港湾法や海岸法に違反していた不法建築物だ、として那覇市はこれまで数回にわたって撤去勧告をして来たが、所有者がこれに応じないため、この日の代執行となった。現場には被災者数人がかけつけたがトラブルはなく、作業は順調に進められた。那覇市は波上から若狭間の海岸を海浜公園として整備し、市民が広く利用できるようにする考えだ。
波上水上店舗が出来はじめたのは28年前。この間、那覇市は数回にわたって撤去勧告をして来た。だが、8人の業者はずっと貸しボート業を営んできた。そうした中で、去る1月、火災が発生し、すべての店舗が焼けてしまった。その後、那覇市と業者の話し合いはたびたび行われてきたが、「これまでのように貸しボート業を続けていきたい」と言う被災者の声は聞き入れらなかった。
そして、那覇市は去る3月14日、港湾法及び海岸法に基づき、同26日までに残がいを撤去するように所有者に命令した。それに業者が応じなかったため、4月7日に戒告書を発送するなどの手続きを取ったが、業者による自主的な撤去作業はなく、この日の代執行となった。
この日、現場には午前8時頃から那覇市の港湾部職員や請負業者らが詰めかけ、あわただしい雰囲気に包まれた。午前8時50分、稲福英男港湾部長が「4月30日までに工作物を撤去するよう警告したが、指定の期限までに履行しないので、行政執行法第2条の規定に基づき、執行し、その費用を徴収します」と代執行令書を読みあげた。ただちに請け負い業者による撤去作業に入った。作業員は27人で、ユンボ2台が次々に懐中に立てられているコンクリート柱を壊した。市職員も32人が動員された。
(略)
琉球新報 昭和55(1980)年5月23日 (抜粋と編集)火事で焼けてしまった波之上水上店舗の撤去作業の新聞記事です。記事は「那覇市議会史 第4巻 資料編3」にあったものから引用しています。
>波上水上店舗が出来はじめたのは28年前この記事は昭和55(1980)年ですから、できたのは昭和27(1952)年頃でしょうか。若狭は1951年4月に壷屋に続いて解放されていますので立ち入れるようになってすぐ造ったことになります。

1971年の地図ではこのように店舗があった事になっています。
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