7/18日付け琉球新報から。
16市町村墓地制限へ “乱立”規制の動き拡大

家族墓や門中墓など独特の葬送文化を持つ沖縄では特例的に個人墓地が認められてきた。
県内の許可墓地8540件のうち8430件(98%)を個人墓地が占める(2010年3月末現在)。
この結果、個人墓地が無秩序に散在し、継承者不在や無縁化の墓地、墓が増加。墓地計画を策定した市町村の計画書では区画整理や道路整備など土地利用計画が遅れたと指摘されている。98パーセントが個人墓地ですか。
良く知らないのでアレなんですがこれは件数なのか面積なのかというとこで実態がよくわからない感じがします。たとえば墓苑のような大規模墓地が一件で個人の門中墓も一件だとすると面積では比べ物になりません。
しかし市街地開発で喉元のトゲのように一件だけ残った無縁墓というのは開発の障害にはなりますね...
墓地地帯の再開発だと緑が丘公園一帯では周囲が公園になった中にドデーンと墓がありました。墓が連なった眺めというのも私にとっては故郷の風景なのですが土地の価値が一変してしまった現代では許されないもんなんでしょうか。
墓地の移動は過去に那覇市では辻のサンモウジ(三文殊)周辺の辻原墓地を識名霊園に移動させていますしここ最近に始まった動きではありません。現代でも那覇新都心の外れに返還後新設された墓があったりします。
墓地や霊園が近隣に作られることを喜ばない住民もいますし行政の開発計画と規制が必要になってきたのは間違いありません。

那覇市民俗地図から墓の記号がついている場所を赤点でマッピング、水色でぬられた場所は大規模な古墓群です。
牧志の古墓群はナイクブ古墓群で現在開発が進んでいます。
大和墓は那覇高校後方ですが現在は失われています。
トゥングヮーマーチュー、フチサも周辺は住宅地で墓は散見されるような形になっています。
※トゥングヮーは殿小(トゥン-グヮー)?
※フチサは地形に因する名前だったように記憶しているが忘れてしまった。追記済み現希望ヶ丘公園は民俗地図には門中墓地と書かれている。
図示したのはこれだけですが、実際にはナイクブ古墓群からは旧山形屋の向かいあたりの坂を下ってずっと墓地が続いていますし小規模の墓地(古墓かどうかを問わず)はあちこちにあります。
墓地になっているということは耕作不能かつ居住不適格で集落からそんなに遠くない場所という条件を示しています。古い形式の掘り込み墓などでは設置に向いた土地であったというのも条件に加わるかもしれません。
近世、現代と墓地に求められる条件は変わってゆきますが現代においては住宅事情が一番優先されるというのも時代だよなぁと思います。
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