「垣花村跡」には垣花と対岸の通堂一帯の明治・大正・昭和の図があり、通堂町1・2丁目の変遷のようすがわかるものとなっています。大正から昭和で変わったのは桟橋で、桟橋のつく護岸が直線になっています。上の図と写真は直線化されたものです。
那覇区全図(大4)での桟橋付近。
新聞資料による旧慣制度撤廃後那覇の地図作成での図は直線化されていません。
左は切り抜いたもの、右は線を描き直したものですが一部推測が入っています。
線を描き直したものをベースに昭和4年の番地入り地図での敷地に近づけます。ここでの敷地はかなり簡略化されていると思われます。茶色の線は線路ですが、「垣花村跡」の図を参考にすると大正と昭和では一部違っていたようです。
この図で海側にあるものは第二桟橋です。
「垣花村跡」の昭和の地図や那覇民俗地図では桟橋は下図のようになっています。大正時代の地図に加筆したので桟橋がつく箇所は直線になっていませんが、上の図とだいたい同じと考えて下さい。