沖縄主要地主要商工年鑑(1952)の第三十四図です。中央にある太い道路は「バス道路」と書かれています。

この範囲には那覇劇場(
a)や神里湯(
赤)などの後年まで残っていた箇所があるのですがよくわからないとこがあります。理由は沖縄主要地主要商工年鑑の図の書き方に由来するんですが...
グーグルマップ上に上の図と同じように描いてみたものが下図です。第三十四図と同じように南北逆転させてあります。

大洋劇場へ向う路地が左側で新栄通りに向う路地は右側になるのでこれであたっているのだと思います。しかし神里湯のある道あたりはどうも第三十四図とは違うようにしか見えません。
沖縄主要地主要商工年鑑には図の書き方の癖があり、他の図でカーブしているにもかかわらず直線状に描いたものは別の図でも直線で書かれている事が多いです。なので店舗名との照合や道路間の関係性などを確認しなくてはいけないのです...
第三十一〜三十三図ではマルクニマーケットから現330号線までの区間を一直線で描いているのでそれとの整合性を図ったのではないかと考えています。ですので今回取り上げた第三十四図では下から二つ目の横線の神里原商店街(図中に書かれていますが略しています)が現実的には弧を描いているにもかかわらず直線として描写し、神里湯あたりとの道の関係性を表そうとするとこうなったという結果ではないかと思われます。
壺屋天ぷら坂のバス(三共・東陽)にかんしては
市場通り(52年) 2、神里原のようすについては
神里原通りのようす 2などを参考にして下さい。
この図の店舗名はバス道路[神里原] (52年) 2を参照して下さい。PR