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古田絹織物所

蠺種発売広告
優良國蚕日台号又昔蠺種日支交配種
蠺具並座繰製糸
器械及付属品
長崎県島原蚕種製造株式会社
鹿児島県是蚕種製造株式会社
那覇西新町三丁目拾壹番地
特約代理店 古田絹織物所
沖縄日日新聞 1921(大正10)年2月13日


※蠺は蚕と同じです
内地から蚕の新品種と器具を販売していたんでしょうか。西新町3丁目は辻に一番近いところになります。
参考:グダグダ 旧町名の番地
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トマトソース広告(大正12)

移転しました
新名物
♢トマトソース
♢トマトジヤム
製造
「トマトソース」は定評あり
県外移出の目的ですが○試み被下○ケチアップ「味付」は余りからからず御婦人子供さんにも向く様調味の物もありますから御愛用被下度美味にして胃腸を整ゑ血色を良くする効力あり
中身のはかり売も致します
「トマトジヤム」は団子に付けて召上る様致し居ます   氷の中に○れたり煮物に調味くだされば脂肪を分解しよく煮ゑて味を出したべて腹ぐはいのよき○進物には最適の品御用命願ひ上げます
「ジヤムクリーム」○饅頭洋館もなか○致します
那覇市西本町一丁目平和館通
若竹料理屋の横
新物産研究所 東京大阪 通信用達所 文化丸
沖縄タイムス 1923(大正12)年8月16日


よくわからない広告ですが県外に移出目的でトマト加工品をつくってみたということでしょうか。
明治期の那覇で新しい農産物のテストが行われていたと千原繁子さんの本に書いてあったと記憶します(未確認)。大正〜昭和にかけてはあちこちで栽培され本土へ輸出もされています。
【追記】トマトについてはいくつか書きましたので検索してみて下さい。

余談ですが1955年の輸出品目でトマトは8位になっています。
参考:グダグダ 那覇市有地/輸出品目(55年)

日本で食用として利用されるようになったのは明治以降で、さらに日本人の味覚にあった品種の育成が盛んになったのは昭和に入ってからである。
トマト - Wikipedia

貸ボート広告

昭和3年の貸しボート広告です。

海国の青年男女の真の競技遊技の本文は海上にありボート運動は強健の元
ボートかします
ボート売買いたします
また新造も引受いたします
東ボート貸所
北明治橋側
沖縄昭和新聞 1928(昭和3)年9月7日


北明治橋は那覇側、南明治橋は垣花側になります。

潟原葬儀社

昭和3年の広告です。

葬式料値下広告
二等 金貳拾圓也
三等 金拾参圓五拾銭
四等 金拾圓五拾銭
右之通リ値下候也
潟原葬儀社
主任 大城松
沖縄昭和新聞 1928(昭和3)年9月7日


意外と高いもんですね...

大和葬儀社(内地式葬儀)

大正14年の葬儀社の広告です。

内地式本県式葬儀社開始
葬儀社開始
葬儀社を始めました(場所は東町旧帝国館前)大和葬儀社であります大和葬儀社は(本県式内地式)両葬儀の御用命に応ずべく準備が整って居ります殊に本県式葬儀の主任は與座嘉進氏であります與座氏は十数年前より葬儀社を経営し本県葬儀には最も深き経験を有する人であります何卒宜敷御願ひ致します
内地式 特等より四等まで
本県式 特等より四等まで
内地式本県式 大和葬儀社
森葉船
内地式葬儀 主任 崎山熊太郎
本県式葬儀 主任 與座嘉進
沖縄タイムス 1925(大正14)年2月26日


葬儀社で大正4年の葬儀社開業の記事を取り上げたのですが、上の広告中には大正14年の時点で十数年前より葬儀社を経営しているとありますから明治末には葬儀社はあったのでしょう。
面白いのは内地式のニーズがそれなりにあったと思えるところでしょうか。

市場本通り[平和館通り] (51年)

沖縄主要地・主要商工年鑑(1951)から第一図表の「市場本通り(平和館通り)」。この市場本通りと平和館通りというのは図に記載されている名前です。
関連:グダグダ 市場通り(51年)
図の道の位置は推定している部分もありますので参考程度にお願いします。

市場本通り(平和館通り)

まず国際通りから入って左側、平和館へ入ってゆくところまで(図の1)。
(国際通り側から)みかづき冷凍所、宮城商店、上原無線、開南美粧院
その次のかなえ亭に曲がる道まで(図の2)。
太陽商事、さかえ食堂、上江洲商店、赤嶺商店、比嘉兄弟商店、○村時計店、パリー美容院、マルナカ商会、野嵩兄弟商会
お宿みはらしに曲がる道まで(図の3)。
入船、平田本店、よかつ食堂、長○商店

向い側に変わって派出所から皆美亭に曲がる道まで(図の4)。
(派出所側から)城間商店、呉屋商店、浦崎書店、安仁屋商店、パリー美容院美顔術部、安村書店、マリー美容院、すずらん美容院
皆美亭と御宿の道の間にはあけぼの食堂があり、そこをこえて国際通りまで(図の5)。
長田商店、○○時計店、○正商店(○の中に正)

この図に書かれているものがすべてではなく抜け落ちているものがあるかと思います。この図(本)の成立過程についてですが、自分は記載店舗から広告料を取って製作していたと考えていて、それゆえに賛同しない店は記載されていないのではないかと考えます。
参考:グダグダ 48、9年頃の平和通り
参考:グダグダ 安村書店
参考:グダグダ ガーブー周辺の50年代
抜けている店があるという理由としては、50年代の写真でも店舗は隙間がないほど隣り合っているのに図には空白空間がある(未記載店舗の存在)、昔からあると思われる店の名前がないなどです。ですがそれを差し引いても価値はあるかと思います。

関連:グダグダ かなえ亭(香那恵ホテル)

市場通り(51年)

この項目を元図に近い形で書き直しました。
書き直し以前の記事は折り畳んでありますのでそちらをご覧ください。

沖縄主要地・主要商工年鑑(1951)から第二図表の市場通り(平和通り)。


店舗名は図の下から上へ(通り前派出所から壺屋向け)
1は角に通前派出所、間が空いて平和堂時計店、饒平名商店、また間隔があり右に折れると食堂街。
食堂街は入口側から奥へ。
右:ひかり食堂、いろは食堂、音羽食堂、久松食堂
左:クロバ食堂、丸八食堂、食堂春潮、食堂フラワ
表通りへ戻り、先へ進んで道をこえて有愛商会(三叉路角)、フタバ美粧館、吉森商店。うしろにあるのはキラクマーケット(a)
すこし進んで名城商店、みつや書店分店(角)、道をこえて島袋商店、と○き大黒屋直売店、道をこえて宮城商店(角)、テル美粧院
三叉路から千歳橋通り向けの一帯(3)はキラクマーケット(a)、安次嶺百貨店(b)、比嘉商店

2も図の下から上へ。
山里商店、金城商店、垣花商店、楠見商店、小田商店間が空いて文楽堂書店、国吉商店、荒垣兄弟商会支店、屋宜書店、間隔があって小波倉商店、那覇マーケット(c)、大城商店、旭すじ支店(すし?)、永山商店、大洋ガラス(d)
少し進んで脇道に入って宝船食堂、たつや手前から。
表通りに戻り脇道そばから上間時計店(角)、壷陶物産館、小田切商事、間が空いて冨士○○株式会社(商業?)

市役所通り

沖縄主要地・主要商工年鑑(1951)」の第七図表から市役所通り()です。

市役所通り

那覇市役所(グランドオリオン)から桜坂入り口までだと思われます。
国際通り側から店舗名を書いておきます。

市役所(グランドオリオン)側
琉銀壺屋支店、市役所、沖縄毎日那覇支社、山城木工所、山城組、南貿、吉浜組出張所

桜坂側
沖縄バス那覇営業所、イナミ木製靴店、民衆理髪軒、マリヤ洋裁店、御宿みやぎ、大湾商店、宝来屋食堂、丸三組、○百食堂(※)、二見旅館、松美食堂、牧志販売店、丸七土建、八幸建設設計事務所

※○百は○の中に百

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