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栄町(52年) 4

沖縄主要地主要商工年鑑(52年)から栄町の十字路角の一帯です。

今回は右図のaの範囲ですが52年版では中の様子があまりわかりません。とりあえず店舗名。
栄町ロータリー角のピンクで示した区画から。角から図の上方向右側はわかふじ亭(角)、ロータリー理髪館、大丸旅館 百貨店、栄謄写堂(角)、おなじく左側は有楽亭(角)、玉の家亭、初音旅館(角)
栄町ロータリーから330号方向へ。田名商店(角)、美松食堂、道をこえて味見食堂、三笠タクシー、食堂一休

図の右側部分はゼンリン地図69年版での店舗を書きいれてあります。右側の緑色の箇所は「AL美容院(AJ美容院?)」で向い側に大丸ストアーがあります。下側の赤い区画には「旅館叶屋」と「栄亭」があり、前に取り上げた52年のこの区画での店舗名と変わりません。
青い箇所はひめゆり会館です。

51年版にも栄町はあるのですが、若干わかりやすく書かれています。51年版での図の区画割りを図(左)にしてみました。色の分け方は右図に準じています。

aの範囲にある店舗名で52年版にない店舗名をあげておきます。今回は市場内のみで、安里大通り沿いの店舗は別の機会に。
まつよし亭、若葉食堂、なみよし亭、白百合食堂、みやぎ旅館、花咲食堂?、まるや食堂、よぎ旅館
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栄町(52年) 3

沖縄主要地主要商工年鑑(52年)の第四十五図を参考にしますが、この区画は少しめんどくさくて図と現在の区画が完全に対応していません。
今回の範囲は右図でのbの区域です。

とりあえず店舗名から。
玉家亭(a)、一楽亭(b)、よかろう亭(c)、球陽工業所(d)、再起屋(e)。
十八番亭(f)、湧川商会(g)、AJ美粧院(h|オレンジ)、鳴海旅館(i)、水産会館(j)、名城商店(k)。

図の左側のオレンジ色の箇所はゼンリン69年版ではAL美容院となっていますがこれは誤植ではないかと思われます(地図内の文字は手書きですけども)。

この区画の南側は前に取り上げたんですが(参考)栄町ロータリーの角は浜千鳥旅館になっています。めんどくさいのはそのとき参考にしたのは四十四図、今回の範囲は四十五図で、連続する一帯にも関わらず縮尺が違ったり道が省略されていたりするんですよ...
今回の四十五図では栄町ロータリーを挟んで湧川商会と浜千鳥旅館は向かい合っており、十八番亭と湧川商会の間には道はありません。なんですが四十四図では間に道があることになっています。図を見て考えてみると湧川・十八番間に細い路地があったんだろうなと推測します。

このブロックから一つ北側の鳴海旅館があるブロックはおそらく当時と変わっていません。
そのもう一つ北側のブロックは沖縄主要地主要商工年鑑では一つのブロックになっていますが、ゼンリン地図69年版では2つにわかれていて現在と同じ区画です。おそらくこのブロックの北側の道は後年造られたものではないかと思われます。このあたりを安里・大道間の境界線()が走っています。
今回の推測はかなり不確かな部分が多くて参考にするにはかなり怪しいかと思います...

【追記】沖縄主要地主要商工年鑑の51年版での区画を描いてみます。

色分けは右図に準じていて、51年頃相当の左図も最初にあげた52年版と区画は変わらないことがわかります。また店舗名などもあまり変化がありません。

栄町(52年) 2

栄町の大道校通り沿いの婦人連合会会館 (婦連会館)のある一角。沖縄主要地主要商工年鑑(52年)の第四十四図を参考にします。

図の下、330号線側から真和志中・大道小に向かう道は沖縄主要地主要商工年鑑では「大道校通」となっています。
1は大道校通り側から。色のついた箇所が店舗名表記のある箇所です。
濃い色で書いてあるのが「婦連会館」、その後の右側が沖縄教育会館、左側が南西印刷所
2も同じく。
三和木工、右側後ろに宮平舞踊、八重山連絡。ブロックを移って区事務所、ガナハ商会
3も同じ。
●木工所(●は○に盛)、ブロックを移って右側がサカエクラブ、まき○旅館、左側が食堂銀座
4も同じ。
右側にナゴ旅館、共○舎洗濯屋、左側に金城商店、新○旅館。ブロックを移って左側に真栄城商店、ことぶき亭、浜千鳥旅館

栄町(52年) 1

1952年の栄町の店舗名。沖縄主要地主要商工年鑑(52年)の第四十四、四十五図と第三十九図を参考にします。

わかりやすくするために左図のように区分します。右は戦前の栄町一帯でBが一高女・師女です。
今回は上左図のcの一帯。1949年8月(参考)から沖縄バスがあり、330号線から大道小学校(参考)へ向かう道は大道校通と書かれています。

1は大道校通からロータリー方向へ。
ブロック右側は京屋食堂(角)、丸吉旅館、栄町湯(角)、ブロック左側は空白(角)、おきな亭、よつ竹亭(角)
2も同じく。
ブロック右側は中外商事会社(角)、空白、叶屋旅館(角)、ブロック左側はみよし旅館(角)、みつわ亭、栄亭(角)
3も同じく。
春芳亭(角)、よしの亭、ふじや旅館、あたりや旅館、えくぼ亭、ともえ亭、松島亭、高千代亭(角)
4はロータリーから330号線向け。
角に高千代亭があり、はるえ食堂、●カマボコ屋(●は○に玉)、くめ旅館、ミスさかえ、黒猫食堂、我謝理髪館、美術天柳

ここまでは第四十四、四十五図から。安里交差点から沖縄バスに向う通りは沖縄劇場通りで第三十九図になっています。そこでのc
安里交差点側からさだえ食堂(角)、いなみね美粧院、仲本グロリー洋裁店、沖バス本社、太平ホテル(角)

沖縄バス横の大平ホテルの敷地がどんな形をしていたのかわかりませんが、これまでの図を参考にすると沖縄劇場通りに面していてc角付近まであったことになります。妙に細長いですが...

栄町前史 2

栄町前史 1の続きです。戦前の環境について。

この図は真和志民俗地図を模写したもので、ピンクの箇所が住宅になります。右側に松川、左側に安里の2つの部落があります。
那覇市史からそれぞれの部落について抜き出します。

松川
昔真和志平等松川邑。また茶湯崎とも唱えられていたが後真和志間切に編入されて今日に至っている。松川は南西に広い耕地を控えてはいたが、純農村というより農労村とでもいうべき生活内容で2、3富裕な家のほかは貧しい部落だった。
安里
泊の東に隣接していることから昔“脇泊”とも唱えられていて八幡宮、神徳寺、オキナワの嶽など名所旧跡もあり名実共に北の中心的なところであったが、明治43年に安里小学校が設立されてからいよいよその中心的色彩が濃くなった。大正11年嘉手納線が開通して安里駅がででき、交通の一拠点となった。ここも純農地域ではなく牛乳屋数軒あり崇元寺通りにはそば屋、理髪屋、雑貨商などが軒を並べていてちょっとした町の恰好をなしていた。
大道
安里から分かれて区長制設置をした当時(大正9年)はわずか60戸ばかりの民家が点在しているに過ぎなかったが、面積は広く、大道松原と上大道、下大道が主体となっている。住民は首里その他からの寄留民で構成され松川同様半農半労であった。大正3年首里那覇間に電車が開通したり、一高女と女子師範が新設されるに従って人口も増加し半農半労的な営みもできつつあった。
那覇市史資料編第二巻中の7 p38、39(抜粋と編集)


大道の原名。「大道松原」はググってください。
グダグダ(β) 字大道の原名(北) (上大道、下大道)
グダグダ(β) 字大道の原名(南)

那覇市史を参考にすると、古い部落の安里と松川の中間点にあった寄留民主体の新しい部落が学校や駅の設置により大正ごろからだんだん大きくなっていったという流れのようです。
松川部落近くには製糸関連の施設ができ、国際通りの安里周辺は養蚕のための桑畑がありました。

参考:グダグダ(β) 養蚕関係の施設
参考:グダグダ(β) 安里の桑畑

戦前の大道は首里那覇間の道路沿いにだけ部落があり、南側には集落はありません(参照:真和志民俗地図)。拝所や旧跡がないのもこれを裏付けるかと思います。
この住居のない一帯は戦後に地方の人間が集中し爆発的に人口が増加します。

栄町前史 1

沖縄主要地主要商工年鑑(52年)の第四十四、四十五図をもとに52年頃の栄町を見ていきますが。今回は前史と概略的なものをさらっと。

戦前の様子は左図のような感じで、安里駅跡(A)、一高女・女師跡(B)、陸軍墓地跡(C)、沖縄県血清製造所跡(D)です(参照:那覇市旧跡・歴史的地名地図)。右写真は45年の米軍撮影写真(ノイズが多いです)
参考:グダグダ(β) 安里交差点(戦前)
参考:グダグダ(β) 安里駅 2(一高女)
参考:グダグダ(β) 一高女

戦前の写真でもほぼ何もありません。
以前書いた栄町関係から。

米軍のゴミ置き場だったのを49年4月末に開放されたので、区画し真和志の商業地域にしようと翁長[助静]村長は尽力した。50年2月に栄町公設市場を開設。トタンぶきで72室あるが、6月に数店を数える程度。市場の東側は料亭街となり、12月までには四つ竹・よかろう・八千代・だるま亭・一楽など20軒が建ち、宴会は引きも切らず、三線太鼓の音が外に流れた。同年1月11日に再建された沖縄劇場で大伸座がふた明けした。この年、料亭街の東角に沖縄婦連会館が建った。
グダグダ(β) 栄町の出現

栄町

真和志市長だった翁長助静さんの話。
[翁長助静]今だからいいますが、一高女のあとですね。あそこに琉大をつくるつもりで、2万坪ほど確保して文教学校も、外語も。真和志、大道小学校を付属にしようと、山城篤男さんなんかに相談したが、今の琉大の位置がいいということになりましてね。
[徳田安周]一高女のあと、今は栄町で歓楽街になっていますが最初からそのおつもりでしたか(笑)。
[翁長]いいえ。実はその件で、ひめゆり同窓会の新嘉喜貴美さんや千原繁子さんらから吊るしあげられましてね(笑)。ひめゆり同窓生の夢の跡に歓楽街をつくるとはなにごとだ(笑)というわけなんですよ。
グダグダ(β) 那覇はどう変わったか(63年)


1958(昭和33)年頃のようす。
栄町歓楽街は桜坂より安直に遊べる場所。居酒屋やバーの代金は安い。キャバレーは見当たらず、売春まがいの小料理屋が多い。女給が飲食その他を接待する。当初は旅館だったが、52、3年から売春宿になった旅館も多い。このため栄町内にある婦連や大道小・真和志中の先生方を嘆かせている。
グダグダ(β) 荒れる繁華街

安里交差点(戦前)

米軍撮影の写真から切り出しました。
右は切り出したそのままのもので、左は画像処理をしたものです。右は画面にムラがあるというか濃淡が違う箇所が同居しています。

左は右の濃淡がある部分を分割して明るさを調整し合成、全体にぼかしをかけて画面をソフトにしてあります。ですが、右写真での濃淡の境界線のノイズはそのまま残っていますので注意。
だいたい同範囲のグーグルマップ。

沖縄土地建物株式会社/沖縄土地住宅株式会社

昭和12年の「日報の沖縄人名録」から。
「沖縄土地建物株式会社」と「沖縄土地住宅株式会社」です。

沖縄土地建物株式会社 那覇市西新町3ノ14
取締役 社長/尚順
取締役/仲里朝茂、護得久朝章
監査役/志堅原良起
主任/瀬嵩政達
社員/新里善保、糸満朝茂

沖縄土地住宅株式会社 那覇市西新町3ノ51
社長/中村俊夫
取締役/武島朝英、仲尾次政潤
監査役/比嘉良実、尚謙
社員/知念宏保


前者は見るからに首里系の会社。後者も仲尾次(那覇士族)、尚謙の名が見えます。
那覇長者番付(S12) 5には「8●01/90413/(貸家)し堅原良起」とあります。

参考:仲尾次政隆 とは - コトバンク

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