安謝誌にイリチリーについて説明がありましたので引用します。
イリチリーとは他家に泊まり込んでその家の仕事をすることだが、例えば
•借金返済のために一定期間、貸し主の家の仕事を泊まり込みで行う。
•畑の少ない人が、豪農の家に泊まり込みでその家の仕事をし、労賃の代わりに、主人から無償で畑を借りる。
•労賃は無く、単に寝食させてもらうだけの条件でその家の仕事をすることもある。これなどはまさに、親元の食口を減らすだけの手段に過ぎない。
安謝誌 p40国場のくらしでの証言にも少しイリチリー(とヒヨー)のことが出て来ます。
前金で借金をして様々な労働形態で返却するのがイリチリー、日払いの日雇いがヒヨーということでしょうか。
畑がない人や少ない人をヒヨーのように雇い、(略 賃金説明)
ヒヨーというのは日雇いのことで一日いくらで雇われ、あとはイリチリといって一ヶ月いくらというように。
なは女性史証言集 p98資料を読んでいると地方の豪農のことが出て来ますが自分が土地制度のことを知らないためどういう風な発生をしていたのかわかりません。
土地制度に関しての参考になりそうなページから引用しておきます。
地割制 じわりせい:近世琉球にあった村内の耕地割替制度で、明治36年(1903)年まで存在した。その起源は、古琉球からあったとする説と近世に始まったとする説があり、決着していない。近世琉球には、百姓地・地頭地・オエカ地・ノロクモイ地・仕明地などの耕地区分があったが、割替えは、基本的には百姓地・地頭地・オエカ地で行われた。
杣山 そまやま:王府の山奉行が監督し、間切・村(島)が管理する山。間切・村(島)は、総山当・山当の役人を置き、必要な林産物を無償で取ることができた。王府が材木を必要とするときは、間切・村(島)に代価をはらった。
http://www.miyakojima.net/kotoba/sa.htmわかりやすい説明もあったのですが長いので畳みます。つづきをクリックして読んで下さい。
これらの土地制度が明治32年の沖縄県土地整理法で解消されるわけですがそれ以前に富を蓄積できる条件というのが自分にはいまいちわかりません。しばらくは勉強しながら証言や資料を追ってゆくつもりです。
引用させて頂いた皆様に伏して感謝申し上げます。m(_ _)m
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